南蔵院
史蹟 しばられ地蔵
沿革
当山は業平山東泉寺南蔵院と号し貞和四年(約六百年前)林能法師の開創に成り、
境内の地蔵堂にはしばられ地蔵尊を安置する。

開創当初は在原業平朝臣東下りの縁の地墨堤の畔にあり業平山の山号これより起る、
寛永年間本所中之郷(墨田区吾妻橋三丁目)に移り以来三百年かの地に在り大正十二年関東大震災の厄に遭い昭和四年現在地水元に転じた。

開山以来六百年法脈を伝えること、
四十一世を数え法燈は益々この輝を増すことであろう。
しばられ地蔵の由来





亨保年間八代将軍徳川吉宗の治世、
或る夏の昼下り日本橋のさる呉服問屋の手代が荷車に反物を満載して南蔵院の門前を通りかかった。

ここらで一服と門前に車を止め境内の銀杏の木陰に涼をとる中についうとうとと一と眠りしてしまった。

目がさめて見るとさあ大変門前に置いた車がない、
青くなって番所へ・・・・・・・・・

そこで当時名奉行との聞え高い大岡越前守忠相の直々の取調べとなった。

「寺の門前に立ち乍ら泥棒の所業を黙って見ているとは門前の地蔵も同罪なり直ちに縄打って召し捕って参れ」

地蔵はぐるぐるに縛られ車に乗せられて与力、
同心に守られて江戸市中を引廻され南町奉行所へ・・・・・・・・・

物見高い江戸市中のやじ馬連中、
どんなお裁きが始まるかと奉行所へなだれ込んだ、
頃を見計った越前守は門を閉めさせ
「天下のお白洲へ乱入するとは不届至極、その罰として反物一反の科料申附ける」
鶴の一声、
奉行所にはその日の中に反物の山が出来た。

手代に調べさせるとその中から盗品が出てそれからそれへと調べると当時江戸市中を荒した大盗賊団が一網打尽となった。

越前守は地蔵尊の霊験に感謝し立派なお堂を建立し盛大な縄解き供養を行った。

以来「しばられ地蔵」と呼ばれ盗難除け、足止め、厄除け、さては縁結びまで凡ゆる願いごとを聞いてくださる地蔵尊としてお願いするときは縛り、
願い叶えば縄解きする風習が生まれた今も幾百人ものお願いごとを秘めてしばられつづけている。
 
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